許せるか、許せないか
ある一定までいくと、それでもすきと言う境地に達するなと思う
— こずみっくめる (@iorem00) 2017年8月31日
どんなことやってても好きな人はそのもののことすきなんだなって最近思う。
法律に違反していようが、音楽に罪はないって思う人だっているし音楽は作者とリンクしていると思う人は音楽も罪だって思うわけじゃん。
別にそんなに重大な問題でなくとも親が嫌いな人間だってすきになることだってあるし、親や周りにその嗜好をとやかく言われたって好きなものは好き、となることも多いわけで。他人が好きか、嫌いかだけで音楽の優劣をつけられるほど、音楽って簡単なものではないような気がする。自分が聴いていてすきだ、と思えればそれでいいんじゃないかなあ。
わたしも最近いろいろ聴くようになってその人がネット上でとやかく言われてることも知っているけど、それでも好きなものは好きなものなんだなあと思ったこともあったし。自分のその音楽が好きな気持ちと問題に対する不快感のどちらが大きいかという話なんだろうなあと思う。
なんで評価されたのか分からないとか言いたいなら言ってればいいじゃん、それはあなたの感性だしわたしはわたしの感性を通す
— こずみっくめる (@iorem00) 2017年9月3日
評価される人にはそれなりの理由があるんだろうなあと思う。たとえ運だとしても。メジャーデビューできる・できない1つにしたって何か基準がある。だから、自分にとってなぜ評価されているのか分からないものだって自分の知らない物差しでは評価されているだろうとしかいえないと思う。でも、自分の下した評価が間違っているかというとそうではないし、もっと評価されてほしいというのは当然の感情だと思う。
わたしはわたしの、あなたはあなたのものさしを持って物事を推し測って寛大に他者の評価も受け入れるべき、
自分のすきな音楽が正当な評価を受けないのは悲しくて悔しくてやりきれないけど、その理由を他の音楽に求めるのは違う
— こずみっくめる (@iorem00) 2017年9月3日