やる自由、やらない自由
やる自由があるならやらない自由があるよねと思っているけれど、もっとやりたかったと言っているのを見るといろいろ揺さぶられる
— 🥟🥟🥟 (@iorem00) 2019年6月16日
やる自由。やらない自由。どちらも肯定されるし、同等に扱われると思ってる。でも、たまにやったほうがいいしやらないのは悪と揺さぶられることがある。
「もっとみんなと野球したかったけど」とか「もっと踊りたかった」とかそんなん言われたら泣いちゃうじゃん。ねえ。ずるいよ。
しかもかっこのうしろに身体が〜とか来るんだよ。課金して環境は整えられるけど身体はどうにもなんないじゃん。わたしどんなにお金出したって推しの膝の靭帯になれないしさ。どんなにお金払ったって安定剤飲むことすらできないわけだよね。かなしすぎる。
そういうの見ると、これはやらないよりやったほうがいいのかなと思ったりもする。おたくだって行かない後悔より行く後悔だってよく言うし。わたしもやたらめったら現場行っててよかったなという思いしかないよ。
でもこっちが強制するのは良くないし、推しにだって人権あるじゃん当然だけど。やりたくないことしてほしくないよなあと思うし。バランスが難しいよなあと思う今日この頃。
オランジーナが100になる時代だし。