Sweet Survivor

青緑の狭間に生きる

とりとめのない話

〈覚悟してたはずなのに、〉

 

いや〜、覚悟してるつもりだったんですよ。小谷野さんの引退。なんだけど、悲しくてたまらなかった。来年もまた三塁/一塁の守備についてるんじゃないかって思った。

各種報道が出る前の日に舞洲にいないって話を見かけて上がるのかな、それとも何かあったのかなってやきもきしていた。

 

 

いつ引退してもおかしくないな〜〜なんて軽口ききつつも、一目見たいって思って今年は遠征してたので、一報きいて悪いことは考えてはいけないしその通りになっちゃうってほんとうに思った。前半戦、成績がよくなくてファンの皆さん( )から色々言われていたんだけどそれでもすきなもんはすきなんだって思っていたので喪失感というか寂しさがすごかった。

 

子どもはずるいよ〜〜泣いちゃうよけなげさに。。

聞き分けのいい女だと思ってたのに、いざ聞くと縋るようにやっぱりやめないって言ってよ、まだ見せてよ…って子供のようなわがままを言ってしまう自分がいて。

全然平気なわけないじゃん!!!!!おま!!!!!ボロ泣きだったよ!!!!

 

覚悟してるつもりだったのに心のどこかで来年もやってるはずって思ってた自分に気づいた。もう野球してるところ見られないなんて寂しすぎるよ。って終わってやっと気づく。だからその覚悟は本当の覚悟ではなかったのかなあと思ってしまった。気づけば毎年こういう後悔のブログ書いてる。かなしい。

 

話は変わりますが、

 

選手がすきってなんだろう、人間がすきってなんだろうって時々思う。選手のプレーがすきなのか、いい成績出せるからいいのか。成績が悪くなればその選手はどうでもいいのか。それとも選手の人間性がすきなのか、顔がすきなのか。尺度が人それぞれですきな気持ちも人それぞれだから、成績で選手を判断する人と成績以外で選手を判断する人は相入れないことがあり得るわけじゃん。

もっとわたしもドライに成績と指標とプレーだけ見られればいいのかなって思うときもある。そうだったら自分のすきな選手が成績あげられなくたってダメだ、ってドライに言えるしプレーだって良し悪しできっちりこの選手を使う価値があるかと考えられるだろうに。そうすれば他のファンに叩かれてもそれはそうだって傷つかずに受け入れられるだろう。

なんでわたしはすきな選手がよくない成績でもよくないプレーでも「期待してる!」といい続けてしまうんだろうか。どんなに他のファンに言われても「でもすきなんだよ!期待してるから許して!!」みたいな温情を求めてしまうんだろう。冷静に文字を打ってたら甘やかしてるそれなのではとまで思う。期待してるそれにしか理由がないのに。プレーに惹かれて、人間性に惹かれて応援してるのに結局甘やかしているようでは選手にとってよくないファンなのではと思うけどきっと今日も明日も応援してしまう。そんなダメなファン。